前回のパートでは、私が大学院生やポスドクの頃の研究で、高磁場NMR分光計で過去に行った測定を解説し、同じ用途に卓上型NMR分光法をどのように活用できたのか(または、できなかったのか)について説明しました。
このパートでは、シンプルな構造解析を超えて、NMR分光法のより高度なアプリケーションのいくつかに目を向け、これまで高磁場システムで行ってきた測定が、当社のX-Pulse広帯域卓上型NMR分光計でどれだけ実行できるかを実例と共に解説します。
反応モニタリング
私はNMR分光法を、化学反応のモニタリングといった純粋な化合物や混合物の特性評価のためだけに使用したのではありません。一般に、これらは in situ 反応であり、すべての試薬が同じ(密閉された)NMRチューブ内にあり、生じる化学反応が数時間(または数日)にわたってモニターされます。その一例として、私がイースト・アングリア大学で取り組んだ、Frustrated Lewis Pair (FLP) を使用したH2のヘテロリシス(不均一)開裂があります。これらの反応は、11B NMR分光法(図4)で容易にモニターできます。ここでは出発物質であるトリ(アリル)ボレート(δB +64 ppm 付近に非常に幅広いシグナル)および、生成物であるトリ(アリル)ボロヒドリド(δB -16 ppm付近にダブレット、 1JBH ~80 Hz)の両方がはっきりと観測できました。
図4:FLPによるH2の開裂の反応モニタリングのための11B NMR スペクトル、500 MHz装置で取得 [RSC Adv., 2016, 6, 42421-42427]
これらの反応モニタリング研究では、X-Pulseを利用すると特に便利です。上で説明したこれらの研究は、多くのアカデミックな高磁場NMR施設で一般的なセットアップである、共用のオープンアクセスNMR分光計で行われました。そのため、一定の時間間隔(通常、これらの反応では約1時間ごと)でスペクトルを取得するためには、2つの選択肢があったのですが、それぞれ独自の問題を抱えていました。それは、これらの測定を行うために一度に数日間機器を予約すること(他のユーザーに重大な悪影響を与えます)、または自動化されたキューを使って、人々のサンプルの前後にこれらの測定をうまく割り込ませることでした(その結果、取得間隔が不規則になります)。これらの問題は、X-Pulseを用いることで、乗り越えられたはずです。それは、他のスタッフや学生に迷惑をかけずに、必要なだけ反応をモニターできるからです。実際、もし当時、X-Pulseを利用できていたら、そうでなかった場合に比べてきっともっと多くの反応モニタリング測定を実行できたであろうと確信しています。
動的プロセス(温度可変)
私が NMR を用いて研究したもう1つの領域は、溶液中の動的プロセスであり、ブリストル大学での博士課程の研究中に合成した化合物の多くで起こったものです。これらのロジウム錯体には、三回対称の三座配位子であるヒドロトリス(チオキソトリアゾール)ボレートが組み込まれており、いったん金属中心に結合すると、ロジウム中心に結合しているかどうかに応じて、形式的には化学的に異なる配位子の「アーム」を持ちます。しかしながら、室温では、リガンドの結合「アーム」と自由「アーム」が急速に交換されるため、1H NMR スペクトルでは等価となります(図 5)。ただし、冷却すると、その交換が遅くなり、スペクトルでは異なるシグナルに分かれます。これは、δH +2.4 ppm付近のシングレットのメチルシグナルで最も顕著であり、室温では1本のシグナルのみが観察され、冷却すると、リガンドの自由「アーム」と結合「アーム」に対応した3:6の比率で2つのピークに分裂します。詳しく調べてみると、これはシクロオクタジエンのメチレン基とともに、リガンドからのエチルシグナルでも観測できます。
図5:[Rh(cod)Tt]の温度可変NMRスペクトル、300 MHz装置で取得 [Dalton Trans., 2009, 8724-8736]
このタイプの測定はX-Pulseで行えますが、流動過程の観察に必要な温度範囲が+30°C ~ -90°Cであるため、これらの特定の例は実行できませんでした。X-Pulseが温度可変の構成で達成可能な温度範囲は +65°C ~ 0°Cとなっています。
X-Pulseで行った一連の同等な測定の例として、3-ジメチルアミノアクロレイン溶液のプロトンNMRスペクトルを温度範囲+2 ~ +48℃で取得しました(図 6)。低温では、OCCCN鎖に沿った共役により、N-C結合を中心とした回転が十分に遅くなり、2つのメチル基のプロトンによりNMRスペクトルで異なるシグナルが現れます。一方、温度が上昇すると回転速度が増加し、2本のシグナルが融合して、最終的に1本のピークが得られます。
図6:CDCl3 中の3-ジメチルアミノアクロレインにおける1H NMRスペクトル、温度範囲:+2 ~ +48°C、X-Pulseで取得
拡散係数の測定
私がこれら多くの化合物を合成していた理由は、その後、興味深い電気化学について観察(したがってモデリング)することを期待していたからです。電気化学プロセスを正確にモデル化するには、対象の化学種に関連するさまざまな物理パラメータの情報が必要です。そのうちの1つは拡散係数で、NMR分光計に磁場勾配が適用される場合、NMR分光法によって直接測定できます。これらは、X-Pulseおよびほとんどの高磁場システムに標準装備されており利用可能です。拡散係数は、一連の1次元パルス磁場勾配スピンエコー (PGSE, pulsed-field gradient spin-echo) スペクトルまたは2次元のDOSY (diffusion ordered spectroscopy) スペクトルを用いて測定されます。対象の化合物に応じて、1Hまたは19F NMR(またはその両方)を用いることで拡散係数を測定できたかもしれません。これらの測定は、X-Pulseで実行できる可能性があります。たとえば、図7に示す一連のPGSEスペクトルは、溶液中のヘキサフルオロリン酸アニオンの拡散係数を算出するために使用できます。
図7:[PF6]– の19F PGSE NMR スペクトル、X-Pulseで取得